蒼穹の昴をもっと楽しむ資料集・名言集 [ 蒼穹の昴 第1巻 ]

私の好きな小説の一つに『蒼穹の昴』があります。『蒼穹の昴』(そうきゅうのすばる)は、浅田次郎著の長編小説であり、清代の中国を舞台とした歴史小説です。物語は史実とフィクションとを丁寧におりませながら展開されており、小説に登場する人物はどれも生き生きとしております。運命に翻弄されながらも必死に生きる彼らの生き様に勇気をもらいそして時に涙を流しました。本書を初めて読む人や既に読んだ人にとってもこの蒼穹の昴をより面白く感じてもらうために実際の史実の部分、つまり現実に存在している人物、場所や絵画などの紹介をしながら本書の名言を辿っていきたいと思います。今回は[ 蒼穹の昴 第1巻 ] から紹介をしていきます。

第1章 科挙登第

春児、北京外城へ入城

以下の場面は梁文秀と春児一行が科挙のために北京に入城した場面です。

梁一行は方向は方術師が占った吉時日ちょうどに、吉方にあたる広安門から北京外城に入った。

広安門大街を東にたどると、やがて右安門から北上してきた一群にぶつかる。人と車は押し合いへし合いながら、菜市口の繁華街へとなだれこんで行く。

蒼穹の昴 第一章 p36より

「ねえねえ、あのお城の中に天子様はいるの?」(中略)「あれはお城じゃねえ。お城はあの門を抜けて、九重の城壁のずっと先にある」

春児には従者の言う意味がわからない。お城がまだずっと先だとすると、今しがたたどってきた長い華やかな街は、いったい何なのだろう

蒼穹の昴 第一章 p36より

かっての北京城は城壁に囲まれた町では厳重に内城と外城の二つの部分に分かれていました。内城は、俗に言う北京城の部分で、9つの門がありました。この9つの門のうち、現存するのは正陽門(前門)という故宮の真南にある門と、徳勝門という北西の門です。

外城は、内城南に出っ張るような形の部分で、言ってみれば「下町」のような場所でした。その城壁は中華人民共和国「1950年代頃から」地下鉄を作る為、取り壊され、現在・北京地下鉄環状線です。

北京の城門(Wikipedia)より

科挙試験場

高い城壁に囲まれた貢院の大門を抜けると華麗な儀門があり、さらにことわざに言われる龍門を登る。

その先は涯も見えぬほどの広い並木道が続く。道の両側には号筒(ハオトン)と呼ばれる石畳の通路が無数に延び、その片側におびただしい独居の個房が並んでいる。貢院のほぼ中央には二万余の個房を見晴るかす明遠楼(ミャンユアンロウ)が聳え、さらに各号筒の要所にも瞭楼(リョウロウ)が建っている。割り当てられた個房に至るまでの道を、挙人たちは三日二晩を過ごすために必要な食料や炊具や布団を背負いながら歩く。

蒼穹の昴 第一章 p79より

残念ながら現在はこの北京市内には「貢院通り」の名が残っているだけで、そこにかつての試験場の名残は見つかりません。都市の発展とともに取り壊されてしまったのでしょう。しかし、過去の写真を見て当時の挙人達への思いを巡らせることは出来ます。

科挙(Wikipedia)より

もし写真でなく実物を見たいのであれば、北京には存在しませんが現存する中国最大の科挙試験場跡の、「江南貢院」に行かれてはどうでしょうか。

龍玉の伝説

胡弓を弾く老人と春児の会話

「乾隆様の龍玉—?」

「そうじゃ。それはの、言い伝えによれば赤児の頭ほどもある金剛石だそうな。もちろん誰も見たことはないが、それこそが歴代皇帝のみしるしなのじゃ。」

蒼穹の昴 第一章 p197より

この蒼穹の昴シリーズの鍵となり、しばしば「天命」や「天子の印」と言われてきた力の象徴的な存在である、龍玉。どうやら故宮博物院に龍玉なる置物が存在するようです。

故宮博物院の龍玉の置物

しかし、あくまで置物であり物語中で出てきた赤児の頭ほどあもある金剛石ではないようです。

赤児の頭大の金剛石は存在した?

ダイアモンドで史上最大のものは「カリナン(The Cullinan)」ダイアモンドで原石として発見された時点で3106カラット(621.2g)あり、現在は9つの大きな石と96個の小さな石に切り出されたものがあります。9つの石にはそれぞれカリナンIからIXの名が与えられ、すべてイギリス王室か王族個人が所有しており、いくつかはロンドン塔で永久展示されている。

カリナンダイアモンド(Wikipedia)

実在する(ネットで調べられる)ダイアモンドで最大のものは、恐らくこのカリナンダイアモンドですが、「赤子の頭ほどある金剛石」といったらこのカリナンダイアモンドの原石を分けることなくカットできたものに相当すると思いますが、とてつもない技術が必要そうです。

胡弓を弾く老人と春児の会話の続き

胡弓を弾く老人と春児の会話

「城内の隆宗門の扁額には、天命われにあらずと悟った李自成が、憾みをこめて馬上から射込んだ矢がいまだに刺さったままになっておる。(中略)まさに一矢を報いた、というところじゃのう」

蒼穹の昴 第一章 p199より

胡弓を弾く老人と春児の会話

「言い伝えでは、景山の松の枝で自ら首を絞った明の崇禎帝は、落城に先立って御手ずから龍玉を乾清門外の照壁(チャオピー)に塗り込めたそうな。その壁は今も残っておるが、紫禁城の中では最も立派で美しい朱紅色の壁じゃ。」

蒼穹の昴 第一章 p199より

これらの扁額や門も実在したもので、今度観光した際に実際に見てみたいと思います。

第2章 乾隆の玉

宮廷画家カスチリョーネ

作中に乾隆帝に従える老官として登場するジュゼッペ・カスティリオーネは実在する人物で、彼の描いた絵画や建築物も現在に存在します。

中国名は郎世寧(ろうせいねい)として現在も彼の作品は残されております。イタリア生まれのイエズス会の宣教師でありましたが清朝の宮廷画家として、康熙帝、雍正帝、乾隆帝に仕え、西洋画の技法を中国へ伝え、美術や建築に影響を与えました。絵画作品では乾隆帝大閲図、ジュンガル討伐戦の情景画、香妃肖像画などが有名です。バロック様式を取り入れた離宮である円明園西洋楼を設計しました。

楊先生が科挙上位三名の若者に絵画を見せる場面

中央の一枚は金色の甲冑を身にまとった騎馬の武者像であり、その隣に寄り添うように朱の衣を着た美しい婦人の座像があった。少し離れた窓よりには巨大で精密な合戦図が現れた。武者は今にも黄金の画縁を踏み越えて駆け出るかとみえ婦人像からはふくいくたる加羅の香りが漂いてるようであった。合戦図からは馬のいななきや干戈の響きが聞こえた。

蒼穹の昴 第二章 p326より

乾隆帝

乾隆帝(Wikipedia)

香妃

   

画像まとめ

得勝図

国立故宮博物院 HP

本書にあるとおり乾隆帝治下の六十年は清朝文化の極盛期であるとともに、軍事的膨張の時代でした。今日の中国の国境線はほぼ乾隆時代に形作られ辺境を制圧するため乾隆はその治世中10回の軍を起こし、すべてに勝利を収めたため、その偉業は世に「十全武功」と称されておりました。中でも乾隆は中央アジアの征服を自祝するため、カスチリオーネなど宮中の西洋画家にその戦闘の状景を描かせ、それをフランスに送り16枚からなる銅版画を作成しており、この辺りもカスチリョーネの手紙の中で出てきましたね。

春児の身浄、そして旅立ち

勇気の源、乾隆銭

旅立つ春児と追いかける玲玲の会話

兄の目の前に開かれた小さな掌の中には、一枚のすりへった銅貨があった。

押し返そうとして鋳こまれた文字にちゅんるは目を止めたまる「乾隆、だって-」一夜の旅籠代にもならないことの穴あき銭には乾隆通宝という字がかすかに読み取れた。

銅貨を握ると不思議な勇気が湧いた。

「待ってちゃいけねぇんだ。走って行って捉まえなきゃ。おいらは男だから口が裂けたって没法子(メイファーヅ)だなんて言っちゃいけねえんだ。待ってちゃいけねぇんだ!」

蒼穹の昴 第一章 p337より

この後春児は誰からも愛され、そして周りの人全てを愛す彼の人柄と自らの努力で運命を切り開いていきます。その過程ではたくさんの苦労と困難に出会いますが、くじけそうな時にいつも春児に力を与えてくれたのがこの乾隆銭です。

最後に

蒼穹の昴は史実とフィクションとを丁寧におりませながら展開されておりますが、この壮大な物語の裏には中国何千年の歴史と何億もの人民、そしてそれらの人が作り上げてきた文化が確かに存在しているのだということを改めて認識しました。本書でこれらの場所や作品の説明は実に詳細で想像力を掻き立てられ、このような紹介が無くても十分に楽しめます。

しかし実際に現実に存在している人物、場所や絵画を見ながら改めて本書を読み返すと浅田次郎さんの創り出す蒼穹の昴の世界観の深さを感じられて、また違う角度から楽しめるのではないでしょうか。

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